【医療機関の労務管理の特徴】
いかなる業種であっても事業主は、労働時間・労働条件・安全衛生・社会保険加入等を管理しなければならないのは言うまでもありませんが、病院・診療所などの医療機関における労務管理には以下のような特有の問題があります。
◎労働時間管理の難しさ
◎一定の資格者の雇用が必要
◎管理者である医師が現場で働く
1.労働時間管理の難しさ
病院等(診療所・クリニックも含む)は製造業等とは異なり、患者という「人」が相手であり、いつ何が起きるか分からないということを考えると、定められた勤務シフトどおりに運用することは難しい場合があるということです。診察中でも時間が来たからと言って途中で診療をやめるということは当然許されないわけです。
しかしいくら難しいとは言ってもやはり一定のルールの中で労働時間を管理しなければなりません。人を一人雇うと24時間雇っているものだと勘違いされることもありますが、決してそうではありません。「医師は聖職であり、高額の報酬を得ているから時間管理になじまず、いくら働かせても良い」ということには当然なりません。
医師であっても雇用されている以上はやはり労働者であり、拘束されるのは、労働契約上の時間の範囲だけで、それ以外の時間は本人の自由です。
労働基準法では法定労働時間を原則として1日8時間、1週40時間までと定めており、もしそれ以上の時間を働かせたい場合は労使協定(36協定)を締結し労働基準監督署に届け出なければならず、就業規則等にも記載する必要があります。また残業させるにしても割増賃金をきちんと支払わなければなりません。
昔から医療機関は労務管理体制が弱いと言われておりますが、最近は特に労働基準監督署の立入りがあり、是正勧告が出されたり、未払い残業代の支払いを命じられたりする事例が増えています。一例を挙げると以下のとおりです。
・医師や看護師に対する未払い残業代約1億9千万円の支払い(H大学附属病院)
・医師らへの超過勤務手当約9,776万円の支払い(T大学医学部附属病院)
・労使協定の範囲を超える時間外労働に対する是正勧告(K大学医学部附属病院)
このような事が起こると、病院としても世間の評判も悪くなり、また金銭的な出費からも経営を大きく圧迫することになりますので、法律等をきちんと理解したうえで適切な対策を講じなければなりません。
例えばこれらの問題に対しては、1ヵ月単位の変形労働時間制や1年単位の変形労働時間制を導入することで解決できる場合があります。これは業務の繁閑を一定期間でならして1週間を平均することにより、週の労働時間が40時間以内であれば、特定の日に1日8時間、1週40時間を超えても割増賃金の支払いが不要となる制度です。
例えば、レセプト業務の時期には8時間を超えるシフトを、それ以外の時期には8時間未満のシフトをそれぞれ組みたいという場合は1ヵ月単位の変形労働時間制を採用すれば残業時間は減り、割増賃金の総額が抑制されます。
また、耳鼻咽喉科では花粉症の患者の多い時期と比較的患者の少ない時期とによって繁閑の差がある場合があったり、内科ではインフルエンザの患者が多い時期などがあると思います。
そのような場合は1年単位の変形労働時間制を採用すれば同じように割増賃金の総額がかなり抑えられることになります。
ただし、1年単位の変形労働時間制には1ヵ月単位の労働時間制と異なり、以下のようないくつかの制約がありますので注意が必要です。
・1日の労働時間の限度を10時間以内にしなければならない
・1週間の労働時間の限度を52時間以内にしなければならない。
・48時間を超える週の初日が3以内にしなければならない(対象期間が3ヶ月を超える場合)
・労働日数の限度を1年あたり280日以内にしなければならない(対象期間が3ヶ月を超える場合)
・原則として、連続して労働させる日数の限度を6日としなければならない。
・期間の途中に就職もしくは退職した者については、労働した期間を平均し、1週間あたり40時間を超えて労働させた場合は、その超えた時間の割増賃金を支払わなければならない。
ただ、変形労働時間制を法的に十分理解しないまま活用している医療機関もありますので、導入に当たっては十分ご注意下さい。
2.一定の資格者の雇用が必要
当然のことながら医療機関は、医師や看護師という資格者を雇用しなければなりません。
一般企業のようにやる気があって、人柄が良さそうだとしても資格がなければダメなのです。ところが医療業界では今看護師不足が深刻な状態となっています。これは看護師配置基準の強化によって、特に大病院が看護師確保のために東奔西走し、将来にわたっての退職者数を意識した上で必要以上の人材を確保し続けたことで、中小病院や診療所がそのしわ寄せを受けていると言われています。
そのような中でいかに人材を確保するかというのも非常に大きな課題であります。しかし、一方では、こうした人材確保難という状況が続く中にあっても、職員を募集すればそれなりの応募数があり、また定期的に人材を確保できている医療機関が少なからず存在することも事実です。そのようなところは求人の時期や媒体、医療機関のイメージ向上など人材確保に関する取組みに工夫が見られます。
ところが、そのような看護師売り手市場を良いことに就職後において我がまま勝手に振る舞われ、患者や職員が離れていくといった事例も見受けられます。そうなると本末転倒です。
また、看護師になるには数年間看護の勉強をします。看護課程はかなりレベルが高く修得が難しいため、共に学んだ仲間と励まし合い、協力し合うということもあるようです。このように看護師は、自らの職場だけでなく、他の医療機関との交流もあるので、医療機関同士の比較をしやすい環境にあります。そうすると自らの職場と比べて条件が良さそうなところがあれば簡単に転職してしまうのです(いわゆる「ジプシーナース」)。
ただ、ひとくちに条件といっても現代のように働く人の価値観が多様化している状況下においては一人ひとり将来の目指したい姿というのは異なります。
昇進して仕事を任され収入アップすることを目標にしている職員もいれば、責任が重くなるのにストレスを感じる職員もいるでしょう。特に中途採用の職員の場合は、既に仕事に対する考え方が出来上がっており、また家庭の事情なども加わり、価値観が明確になってきています。
そのような中で昔ながらの労務管理は適合しなくなってきています。やはり、これからの労務管理は働く人の価値観が多様化したことを踏まえて行っていく必要があるでしょう。例えば、多少面倒でも定期的な面談などをし、職員一人ひとりの考え方を把握しておくことも有効な手段ではないかと考えます。
労務管理に関しては様々な法律がありますが、所詮人が人を管理するものであり、その人同士がうまくいっていれば、トラブルなど起こりえないのです。トラブルが起きたことを想定し、就業規則などでガードを固めることは最低限必要なことではありますが、それ以前に、トラブルが起きないように普段の労務管理に気を配ることも重要なことだと思います。
3.管理者である医師が現場で働く
一般企業であれば、トップは大所高所に立ち、組織のマネジメントと経営戦略の構築および実行を行い、現場の事は部下に任せるものですが、医療機関の場合は、トップである医師自身が現場で働かなければなりません。それと同時に医師は医療技術の進歩を常に追究していく必要があります。
従って、なかなか人事や労務管理までは手が回らないのが実情ではないでしょうか。
また、医療機関を経営するにあたっては、医療技術の向上とともにサービスの向上を図り、それにより知名度を向上させ、いかに患者を増やしていくかが大きな課題です。そしてその実現にためには職員の接遇マナーを向上させるために研修を受けさせたり、院長自らが指示したりするわけですが、そのような取組みを行うには当然時間や手間が掛かります。人の命を預かる医師が本業以外のことで煩わしい思いをするわけにはいきません。
そこで、このような悩みを緩和するには、有能な基幹職員を採用することも有効な方法のひとつだと考えます。つまり、院長と経営者理念を共有できる経営者寄りの中間層を置き、経営戦略や人材育成を任せるのです。
日本の人口構造は、団塊世代が退職を迎え超高齢社会に変化しました。それに伴い医療の需要が増加する中で、医療技術の発展はすさまじい進化を遂げており、病院にとって生き残りをかけた厳しい時代に突入してきました。これからの病院経営に求められるのは、強いリーダーシップのもと高い志を持った人材を育成していくことが必要です。
そのような中で基幹職員は、より良質な医療を提供するために、いかにして経営を安定化させ、患者や家族が安心できる病院の黒字体質による健全経営として求められています。
なお、できれば基幹職員は自ら先頭に立って自ら動ける人の方がいいでしょう。というのは、リーダーが自らは動かず他人へ指示するだけでは、伝言ゲームのようにミス伝達となるリスクもあり、また周りから「指示だけして自分は何もやらない」と思われ、かえって不信感を煽る可能性もあるからです。
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